愉快なときだけ思い出して

ここ最近色々自分で考えていたことがあって。
やっと昨日ひとつの結論が出ました。
結論というか、自分で気づかないふりをしていただけなんだと思います。



以下、お暇な方だけどうぞ☆
思いっきり個人的な内容ですが。





自分は氣志團に依存しすぎている、ということ。


そして、このままではダメだ、ということ。




氣志團のGIGに行くためだけに頑張るとか、
氣志團のGIG日程がないと不安で毎日に張りが出ないとか、
GIGでメンバーに「頑張ったよ!」って姿見せたいとか、
氣志團のおかげで就活乗り切れたよ!」とか。




どれだけ痛い子なんですか私は



オフ会に行けずに得られなかったこと。
それは楽しい思い出。
逆に得たこと。
それは依存しきった弱い自分に気づいたこと。
きっと行っていたら、気づかないままだった。
だから、私の場合行けなくて良かったんだ。
おそらく、というかほぼ間違いなく2回目はないだろうから
今回行けなかった事はよかったことかもしれない。私の場合は。
行っていたら、現実を見るのを嫌になってしまっていたかもしれない。
現実を見たとしても、今以上に依存してしまったかもしれない。


別に依存している人が悪いわけじゃない。
現に、色んな方々のブログを読むとみんな氣志團が心の支えになってるんだって
のが伝わってくるし、
本当に心から氣志團のことを好きでいるんだなってわかるから。
でも、それじゃ私はダメなんです。
私は。


先日中学時代からの友達と食事をしました。
それでふと思い出したんです。
氣志團に出会う前の私って、どうやって嫌な事、辛いこと乗り越えたんだろう?
って。
氣志團以前はB’zが心の支えだった?
いやいや。
B’zは一年に1回くらいしか会えないし、イベントやフェスも出ない。
その一度のライブの為に私は頑張っていた?
頑張った姿を彼らに見せたいって、思ってた?
違う。
自分の力で、何とか頑張ってたんだ。
辛くても、いやなことがあっても。
何とかこらえて。
それでも辛いなって時に、ライブジムのことをちょこっと思い出して。
それでまた頑張ってた。「今」を見つめて頑張ってた。
じゃあ、氣志團に出会ってからの私はどうだろう。
過去にすがって、未来ばっか見ていて、「今」を全然見てない。
万博の為に頑張ってきた?
万博のため?
誰も私に万博のために頑張れなんて言ってないし頼んでないよ。
頑張るのは本来自分のためであるべきなのに。
GIGに行けば、翔やんの言葉に甘えてる自分がいる。
「頑張って報われないことがあっても俺達は味方だから」
その言葉に泣いたのは私だ。
「しんどいな、ちょっと辛いなってときは今日のこと思い出して、
また元気な姿で会いましょう」
その言葉でいつもパワーを貰っていた私はあの時いなかった。
氣志團に出会ってから、
昔の根拠のない前向きさがなくなった。


中学時代の友達、高校時代の友達。
彼女達は前と変わってない。
私の友達はみんな趣味とか何かに熱中するということがないから、
何かに依存しきって頑張る、ということはない。
私もかつてはそうだったのに。
たまに、ホントにごくたまにだけど会って、
日常の嫌なことを愚痴って。
そうやってお互い頑張ってきてた。
それぞれ大変だけど、って言いながら。
まさに「Brotherhood」の世界。
「マブダチ」というよりはBrother。
べったりしてるわけじゃない。いつも一緒になんていない。
でもいざというときは手を差し伸べてくれる子達なのに。
今までずっとそうやってきたのに。
氣志團好きになって、
べったりすることを覚えてしまった私は、
いつも側にいてくれない彼女達に不信感を抱くようになっていた。
キシーは結構、おそろいの格好をしていたりする。
グループで行動してる人たちが多い。
本来そういうことが一番苦手で、
避けてきた結果今の友達と出会ったはずなのに、
今まで自分の中ではおそろい、グループ行動なんてあり得なかったことだから
妙に羨ましく感じてしまっていた。
本当の仲良しってああなんだって勝手に思っていた。
キシーってこうなんだって勝手に決め付けていた。
だから、自分には友達がいないだのわめいていたんだ。
GIGの固定相方が欲しいとか。
確かに同じ趣味を持った友達がいるのは羨ましいことだ。
でもそれを選択してこなかったのは私なんだから、
今更人と比べて「いいなー」なんていってる場合じゃなかった。
そうやって周りのせいにして、甘えていた。
誕生日を誰も祝ってくれないとか。
じゃあ私は友達の誕生日に特別サプライズとかしてあげたか?
答えはNOでしょ?と。
きっと、氣志團に熱中する人って氣志團ちゃんみたいなわいわいした感じや、
記念日とか大切にするとか、元々そういう人が多いんだと思う。
キシーで誕生日サプライズしてもらった!って話はよく見聞きするし。
でも少なくとも私と私の周りはそれとは真逆だったじゃないか、と。
一見冷たいように思えるけど。
別にお互い誕生日祝わなくても、それで壊れるような関係じゃないし。
ホントいざというとき手を差し伸べられるかどうか。って関係で。
普段は一緒にいなくてもいい。
会ったときに最後笑顔で別れられればいい。
ずっとそうやってきたのに。


そのことに、久々に友達に会って話をして気づいた。
私は、夢を見すぎていたのかもしれないと。
氣志團の与えてくれた世界が絶対のように思いすぎていたのかもしれないって。
だって、こんなに素晴らしい友達がいたのに。
氣志團がなくったって、こんなに楽しいじゃないのって。
何でも氣志團基準で考えすぎていたし、
頼りすぎていた。



だからオフ会に行けないくらいでグダグダ言ったりするんだ。
もうやめた。
氣志團に頼るのはやめた。
もう少し、精神的な距離を取ろうと思う。
氣志團を通して得たたくさんのものはそのままに、
失ったものは取り戻せるように。
以前の私はすぐ泣いたりするような子じゃなかっただろって。
もっと常に強気で行ってただろ?って。


氣志團が生活の一部になっちゃだめだ。
B’zみたいに、うまく距離を保てるようにしなきゃ。
行けないGIGやイベントのことでグダグダ言って落ち込んだり、
人の話を羨ましがったり妬んだり、
GIGに一緒に行ってくれる人がいないと落ち込んだり、


そんなことしてる暇があったら犬の散歩行け俺!


そうそう。
氣志團のことで一喜一憂してたって私の人生何も変わらないわ。
これからは出来るだけ彼らのやることを冷静に受け止められるようになろう。
松と結婚したいなんて本気で痛いこと考えるよう子にはならないよ。
いや、宝くじに当選するのと同じくらいの希望くらいは持っててもいいか。
絶対にありえないけど、万に一ついや兆に一つくらいはわからないもんね。
それ以前に本人達に会うこと自体が宝くじ並みなんだけどさ!


そうでなくても、来年の4月から半年くらいは
絶対に思うようにGIGやイベントには行けないんだから。
頼らないでも大丈夫な自分に戻って、
たまーに楽しみのひとつとして氣志團を加えればいいんだ。
何もかも氣志團を基準に考えてちゃダメなんだから。


まあとりあえず来年の3月までは思う存分奴らにくっついて行きます。
それ以降のことはまだわからないけど、
まあぬるーく応援できたらいいんじゃないかと。
ぬるーくとか言いながらぬるくなさそうだけど。
とにかく氣志團のことで一喜一憂したり、
人生振り回されたりするようなことはもう辞めます、ってことです。
氣志團の為に」という理由付けは、もうしない。
だって依存しきりだったらさ、
氣志團解散しちゃったらどう生きていくの?って話だよ。


まあ私からすれば彼らも結構ファンに依存してると思うんで
お互い様な気がするんですけどね。



以上、ダラダラと書いてみました。
書いてすっきりした。